2010年3月21日日曜日

私はなぜ化学を学んだのか?

私は子どもの頃、父の実家の滋賀に訪れるたびに
南湖の汚れと北湖の美しさとを対比して、
いろいろと思うことがありました。
その時に滋賀の石鹸条例を知り、
合成界面活性剤のことを知り、環境問題を知り、
環境についての化学を学ぼうと決意したのでした。

受験は思うようにいかず、就職をした時に、
大阪の市民環境講座で滋賀大学の鈴木紀夫先生の研究室にお邪魔したり、
琵琶湖に環境問題について勉強に行ったりして、
これは絶対大学に行かねばと・・
そのあとに進学をしたのでした。

大学のあと大学院にも進学したいと思っていたのですが、
諸事情でできずに終わりました。
それなら、子どもたちに理科の素晴らしさを自然科学を等身大で
伝えたいと中学の現場に出ましたが、当時の学校の様子や、
学区内に養護施設が2つあるような状況の子どもたちの中で、
自分自身の子どもはどう育てるのかと思っていた時に
妊娠・・(その前に結婚をし、関西から関東にうつって、
こちらの学校現場におりました)
子育て中心の生活になり、
環境問題や自然科学を子どもたちに伝えると言うことは
もう・・夢の彼方に行ってしまいました。

それからは、某研究施設で化学分析の仕事をしたり、
私塾を開いては近所の子供たちの面倒を見たり、
養護施設の子どもたちを考える中で考えていた保育士の資格を取ったり、
放送大学や大学院で学んでみたり、
いろいろなことをふらふらとして・・もう、学校には戻れない。
PTAの役員くらいしかでかかわれないと思っていました。

ところがある時「県立高校で理科の先生足りないんだ」と声をかけてもらい、
気がつくと今も私学で子どもたちと過ごしています。
今の子どもたちは不登校の問題を抱えながら、
学ぼうとしている子どもたちの学校。
実は、学校が荒れている時、
不登校(当時はまだそのように言われていなかったかもしれませんが)の子どもたちと話をする中で東京シューレの様なところで、教えたいと思った時期もあり、その思いが回りまわって今になったんだと不思議な感覚を得ました。

そして、インターネットのこの時代。
15年前にインターネットを始めた時、
私の地域は早々とCATVで使い放題と言うプロバイダーがあり、
その中で楽しくいろいろな出会いをしてきました。

今・・理科ハウスとの出会いやツイッタ―やBlog・・いろいろな媒介で
いろいろな人の考えや活動を拝見し、
今ならもう一度子どもたちと自然科学を学ぶことができるんじゃないかと
思い始めています。


そのきっかけの一つになった理科ハウス。
実は、子どもを育てている中で、子どもたちが生活の中で自然を感じることが
あまりにも少なく、受験勉強でおしまいになってしまう子どもが
どんどん増えている。
そんな中で、私も家庭文庫をしたい、
(実は私塾をしていたころから思っていました)
自分の仕事の部分とは別に家庭文庫とその家庭文庫の中で、
理科遊び・環境遊びを実践していきたいと思っていた気持ちが
今ならできるんだと・・
年離れて生まれた第三子の成長とともに感じはじめています。
そして仕事の部分も
今更こんなおばさんがとおもいながら、
常勤でできる場所を探しています。

長々と・・私の話を書いてしまいました。
理科ハウスが山向こうに建ってくださったこと、
館長さんや学芸員さんに出会えたこと。
すべて偶然じゃないんだと、
かってに思っています。

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