2010年3月21日日曜日

なぜサイエンスカフェなのか

実は子ども時代・・とくに思春期時代の私は
行き場のない自分のエネルギーをどこに持って行っていいのかわからなかった。

自分の家にいても学校にいてもなぜかしっくりこずに、
居場所を求めていたのかもしれない。

そんな高校一年の初めの進路相談で
将来は、何になりたいのかと担任に問われ
とっさに答えたのが「音楽喫茶と言うかロック喫茶と言うか、
人が集える場所を造りたい」なんてわけのわからないことを答えた。
担任が求めていたものは高校卒業後すぐの方向性だったのだから、
その担任は「だったら経営学部とか?」と・・
(私が担任だったらそんなん言いません・・
今から思うけど・・その先生あほちゃうか?って。)
だけど、そんなことを言った私の深層はたぶん・・居場所がない自分の
居場所をどこかに造ることをいつかしていきたいと思っていたのだろうが。

進学と言う観点で言えば、
当時もすでに琵琶湖の環境についていろいろと考えがあったので、
すぐに化学・・環境と言うこと答えが出てくるはずが、
「女は短大で十分や。理系なんて・・そんなん行ったら嫁に行けん」
(父は企業で化学系の研究畑で生きていた人)
というわけで、短大って・・じゃあやっぱり音楽系かな?
と中学でやめていたピアノを再開すべくレッスンに通うかどうか?
いや・・エレクトーンの講師になるために専門学校?
の様に考えがまとまらず・・気がつくと高3で、
そのまま、あまり考えずにどこかに行けるだろう
(模試でA判定をいただいていた学校もあったので)
と近隣の学校の化学専攻を受験・・勉強しないで合格できるわけもなく、
そのまま就職ということに・・
そしてなぜ化学をまなんだのか?と人生は進んで行った。


女は賢いと嫁にいけん。みたいなことを言われ続けてきた。
それは時代背景もあるし、
理系社会の中で苦労する娘の姿を見るのは辛いと感じた父の心の裏がえしだろうけど。

そんな親心に対して、
新聞の投書欄に社会批判は書き、親戚からそれに対する批判の電話を受けたり、
「時代が時代やったら・・火炎瓶投げてるんやろ」とどなられたり、
親が期待している「女の子像」とはかけ離れ、
結局は親の家の中での自分は・・自分ではないと
大学に入学し、半年後に計画的に家出。
家庭教師を掛け持ちし、土日にはスーパーでマネキンをし、
怒涛のごとくの学生時代を過ごした中で、自分と言う人間が確立できたのかと
今になって思うのだ。

まあ、その後も自分が生まれ育った関西を離れ、
ニューカマーとして、横浜で過ごすのだけど、
10年の間に家を4回も転居したり、
不動産の売買や家を建てたりしたり・・
子どもも自宅で出産したり、
いろいろなことをしていた中で、
やっぱり居場所作りがしたいって・・

この10年・・社会の中に居場所がなくなった大人も子どもも
ずんずんと増えてきた。

で・・昔のお尻の青い私が思っていた居場所作りをしたいと無性に思ってきたのだ。

いずれはサイエンスカフェ・・いやいや・・サイエンスだけではなく、
老若男女、音楽もスポーツも哲学も語れる場所を造れるようになりたい。

そして、社会の中で居場所のない子どもたちも一緒に暮らせるようになれればいいと
本当にみんなの居場所・・作りたいと思うのだ。

家族という枠組みを小さな方向に向かせるのではなく、
もっともっと大枠でとらえることができれば、
社会も変わるんじゃないかと
本気で思っている。

昨日のシンポジウムでも同じような考えを語ってくださり、
小さな動きから社会を変えていけたらと本当に思う。

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